原宿のこかげさんまつり
             2010・4・3 金子萬治さんから聞いた話を追加

            
                 撮影  平成10年9月18日

 4月24日、原宿の女性たち20名が原宿自治会館の広間に集まり、こかげさんまつりを行いました。
 この地方は昔から養蚕が盛んに行われていました。宿沿いの農家には養蚕をしていた頃の納屋や、半地下式になった桑置き場などもありましたが、今はすっかり影をひそめてしまいました。
 原宿用水があった頃は、この日、宿中の人たちが総出で木にスギの葉を巻きつけたりしながら「堀さらい」を行ないました。また大山道と津久井街道が交差る辻では蚕影社のまつりも行われ、各家々で作った料理を持ち寄ってお念仏を唱え、子供たちにはお菓子が配られました。
 平成16年4月24日、祭壇には御本尊の蚕影様の掛け軸が掲げられ念仏が唱えられました。今年は、新たに「ねんぶつ帳」が作られました。亡くなられた市川さんのお母さん、三十三回忌の御供養に旦那さんが作ったのだそうです。
 養蚕は行われなくなりましたがこうした古き良き伝統が原宿の女性たちによって今も守られています。

         
  

       

  こかげさん
 
  一番 はつはるに かつごはくきよう たまぼうき てにとるからは ゆらく はんじょう

  二番 はきおろし たねはたからの こがねむし いくとしつきに あたる かねぐら

  三番 くわのめは にしきのはなの さきはじめ かいこは くにの たから なるらん

  四番 ほどしたや しじたけふなに くわついて  にわの しまいに まゆ つくるらん

  五番 このまゆを ただひとすじに ひきのばし めづな おづなと みなつなぎのべ

  六番 このたづな こんていこまの くちにつけ みかどを のせて とどく てんまで

  七番 よろずよの あらゆるかみの おおせには かいこの かみは くにの たからよ

  八番 しょうれんじ のぼりておがむ こかげさん くわのはやしに ながの こそだて

  九番 ありがたや ふじにうつろう ならさわの ろくやを まちて みだのらいこうを

  十番 みだたのむ いとをむなしく なすなれば われかんぜおんと ひとに いわれる

                  
「ねんぶつ帳」より



原宿のコカゲサン
   
                          話者 金子萬治(大正6年生)
                          住所 城山町川尻2775
                          (採話 昭和55年・10・16)
○原宿のコカゲサンは、昔は観音堂の中にお祀りしてあった。何時、祀られたものか、はっきり分からないが明治頃だと思う。昭和40年頃、観音堂を改装して、原宿のクラブを新築しその中へ観音様をお祀りし、蚕影山は現在地へ祠を建ててお祀りした。地蔵様は観音堂の境内にある。
○観音様・蚕影山・地蔵様の念仏があり、毎年4月24日と10月の末頃に、観音堂に村の女衆が集まり、おこなわれる。この念仏は通称「カンサンジ」(観蚕地)といわれ観は観音様、蚕は蚕影山、地は地蔵様をあらわしたもので、この念仏は、原宿の全農家(57〜58戸)が講中(?)になっている。当日は、夜になると女衆が観音堂に(現在はクラブ)に集まり、掛軸をかけ、その時期のもの(野菜など)を供える。先ず長老の一人が音頭をとり、次に全員がこれに唱和した。鉦は長老が叩く。
 春(4月24日)は、蚕の育成と豊産をお願いし、秋(10月)は豊産に感謝のお礼をするものである。秋の方が略式にやる。
○養蚕は大正から昭和の初めが一番盛んであった。原宿は昔から農家が57〜58軒あり、全部の家が養蚕をやっていたが、昭和40年〜46年〜47年になり徐々に少なくなり、現在では5軒だけとなってしまった。
 昔は蚕の呼び名について一令を「ケゴ」、三令を「フナ」、四令を「大ドマリ」と呼んだ。三令になるとフナダンゴをつくり、神棚に供えた。蚕は三令までがむずかしいので、これを越えれば一安心であり、お祝いをした。
 ダンゴは米の粉で丸形につくり、色は付けない。皿に盛って供えた。神棚から下げたダンゴを食べるとき、醤油などを付けると、マユにシミができるといい、何も付けずに食べた。
○ダンゴヤキ
 旧暦の正月14日に米の粉でダンゴをつくる。お蚕の神様のお祝いであるという。形は丸形・マユ形で色は付けない。ダンゴの木(ツゲの木)を山からとてきて、ダンゴを刺す。ミカンも少し付ける。石臼(ヒキワリウス)を床の間へ据え、その穴を利用してダンゴの木を立てる。ダンゴの木は成長がおそく、少なくなったので、梅の木に変わった。梅は街道に面して各家では必ずといってよい程、梅の木を植えてあったので、もれも利用した。また梅は昔から「梅切らぬ馬鹿」といわれ、枝を切った方が良いとされている。・・・・・ということもあろう・・とのこと。
 25日の夜、または16日の朝、ダンゴを取り除く、これを「マイカキ」と呼んだ。取ったダンゴは一升升に山盛りにして、大神宮様へあげる。マイカキをして、マユがこんなに沢山とれたことを神様に報告する意味だと思われる。
 15日夜、ドンド焼きに持って行くダンゴは、梅の三ツ又の枝を差したのを用意し、子供たちが焼きに行く。
  「持ち上げ地蔵」願いごとをするとき地蔵様を持ち上げると、叶うときは軽く持ち上がるとのこと。
    資料 「「かながわの養蚕信仰」 新井清 発行 平成10年5月10日」
より


     原宿の地蔵祭
                             撮影2004・8・8
  
 8月8日午後1時より、地元梅友会主催による「御地蔵祭」が行われました。全地蔵様には真新しい頭巾やよだれかけ、そして覆屋には「奉納」と書かれた幕が既に取り付けられていました。参加者全員で御線香をあげ、全員で「般若心経」を唱え御供養を行いました。
  地蔵祭の終了後は自治会館の中に入り、ジュース、ワイン、ビール等での献杯、昔の写真を見ながらその頃の話に花が咲きました。また貴重な話では谷ヶ原から九沢に通じる水道管の敷設工事にトンネルを掘った外国人労働者等貴重な聞き取りもできました。
 石仏が修復されてから約10ヶ月が経由、地元「梅友会」からの御招待を受け祭りに参加させて戴きました。地道な活動ですが皆様方から喜んで戴き、また貴重なお話も伺うことができました。ありがとうございました。

  


   
                      2005・8・8(月)雷雨 

 
 相模原市相原 正泉寺 あみだ堂
  蚕影大権現

       参考 城山町の講中と祭日
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